ABOUT US

会社情報

– 社名:合同会社 Chapter Two

– 設立:2017年10月

– 住所:〒111-0034 東京都台東区雷門2-1-6

– 電話:03-6802-7552(代表)

– 代表:上田拓明

Chapter Twoの理念

「受け継いだ精神を次世代に残す」

〇過去、現在
「平和で安全で何不自由ない生活」の礎となっているもの

過去に悲惨な戦争を経験した日本。
家族を守りたい、日本人としての誇りを守りたい、それぞれの胸にあった「守りたい人、守りたいもの」のために戦地へ赴いた私たちの先達。恒久的平和をただ願い続けていたにも関わらず、戦争は起こってしまった。そして多くの人が死に、傷ついた。しかし、何千年も前から受け継がれてきた日本人としての精神が死んだわけではない。

戦後、目覚ましい経済成長を遂げた日本のことを振り返りたい。
文字通り自分の身を捧げ、必死に働いてくれた人がいる。その人たちが築いてくれた礎の上に今私たちは立っている。食べるものにも住む場所にも困らず、そのことを省みることすらないほど当たり前に、今日本で生きる多くの人は物質的に満たされた生活をしている。次々に生みだされる新しいテクノロジーやアイディアに触れることができる。しかし、そのような生活は、決して自分一人の力で得たものではない。日本という国で、安全に平和に、何不自由なく生活できていることは、決して当たり前のことではない。

世界に目を向けてみる。生まれた瞬間から命の危険に晒される人、自由な発言が許されない人、モノのように売買の対象になる人、信じたくないことだが、実際にこのような状況にある人が世界中に溢れている。

国外においてのみではない。日本国内においても貧困のうちに生まれ育ち、食べることもままならず基本的な教育すら受けることができない子供たちが多く存在する。「日本は平和で安全だ。みんな豊かに生活している」という言葉の裏にもこのような状況は確かにある。

私たちが日常生活を送る中で、ある日「どこどこの国で爆撃があり何人が死亡しました」というニュースが目に入ってきたとする。どう思うだろう。多くの人は他のどうでも良い情報と同じように聞き流す(見て流す)か、「かわいそうに」と一瞬手をとめてまた日常に戻る。「日本ではないどこかの国のこと」「自分とは関係のない人のこと」「毎日どこかで起こっている同じようなことのうちの一つ」、潜在意識の中身はおおよそこのようなものだろう。少し心にさざ波が起こったとしても、「自分に何ができるわけでもない」、たいていそれで終わる。

それでいいのか。私たちはそれで生を全うできるのか。

アサド政権圧政下のシリアにおいて自由を奪われ生きてきた人の記憶を辿ったある記録映画の中でこのようなことが語られていた。

「大勢の死を世界は自然現象のように見ている」

無関心が人を殺している。肉体的にも精神的にも。

〇役割・関心
無関心という悪 目の前にいる「この人」に心を寄せ、働きかけるという私の役割

ネット上に世界中の様々な情報が溢れているが、私たちは自分が関心を寄せることに関する情報ばかりをピックアップしがちだ。そしてその関心事に関する情報が目に入るようなアルゴリズムによって、手にする情報はどんどん偏っていく。これだけ情報が溢れていても、結局はよく知らないこと、知ろうとしないことに関する情報は目に触れない。これが現代の情報社会ではないか。

「知っているけど何もしないこと」「知ろうとしないこと」、これらは一見世界に対して何ら影響を与えないと思われる。しかし実は、不作為や無関心が束になるとそれは大きな負の力を持つことになる。

イラン・イラク戦争末期の1988年3月16日、イラクのハラブジャという地域で化学兵器(毒ガス)が使われ、5000人を超える住民が死亡した。「敵国イランに協力した」という理由で、イラク軍が自国の住民を殺害した事件だ。住民の多くはクルド人だった。ちょうど同じ頃、パレスチナ人とイスラエル治安軍との間で衝突が起こっていた。このことについては数々のメディアが大きくとりあげた。そして一人のパレスチナ人の死に対して強い抗議の世論が形成された。ではハラブジャの事件はどうだったか。黙殺されたのである。その数日後に開催されたイスラム首脳会議においても議題にすらのぼらなかったのだ。本来ならば国際社会が団結して批判すべき最悪の出来事であるにも関わらず、欧米諸国はイラク側を支持していたため、沈黙を決め込んだのだ。そうしてサダム・フセインに「国内の少数民族であるクルド人に対して化学兵器を使用しても批判されない」という前例を与えてしまった。不作為と無関心が導いた人類の大罪のうちの一つであろう。

この事件について知っている日本人はどれだけいるだろう。自国の軍による化学兵器により殺された人たちがいるという事実を私も最近になるまで知らなかった。日本人は原爆という最悪の化学兵器を投下された民族として、断固たる批判の姿勢を示すべき存在であったはずなのに。連帯を示し、痛みを共有し、癒し合える存在になり得たかも知れないのに。

世界にはあまりに多くの問題があるではないか。確かに、問題を全体として見渡そうとすると、地球全体を覆ってしまうほどで、その途方もなさに愕然とする。私たち一人一人の力は、残念ながら問題すべてに立ち向かえるほど大きくはない。そこで、「役割」という考え方に依って立ちたいと思う。

私たちの多くは、家族に対して、より親密な感情を抱く。多くの人にとっては家族は最も身近に関わる存在であり、最も関心を寄せあう関係となるからだ。個人的な関わりの極みが家族関係であろう。

人は生きる中で、様々な人間関係を築いていく。それは関心を寄せあう関係、つまり家族関係の範囲を広げていくことだ。家族に対して、「この人が幸せであってほしい」と願うのは自然な心の働きだ。もし家族が何かに苦しんでいるならば、その苦しみを取り除きたいと願うし、何かがその人の幸福へ至る道において障害になっているならば、共に立ち向かいたいと思う。そして実際に働きかける。

近年世界各地でナショナリズムが再び台頭しつつある。そのような風潮の中にあっても、私たちは、「世界を一つの家族として考え、恒久的平和を願い続ける」民族たる日本人であるという意識を忘れてはいけない。内と外とを隔てる壁を作ってはならない。この与えられた生命と豊かさを、還元したい。私たちにとっての「当たり前」が「当たり前」でない人に還元したい。それが、先人から日本人としての精神を受け継いだ私たちが果たすべき使命なのだと思う。

漠然と「世界」と考えると、それは塊であり顔のない概念である。しかし、紐解いて考えてみる。世界とは、概念ではなく具体的な「この人」、その総体なのだ。

では「この人」に寄り添うのは誰か。「この人」と家族関係にある「私」以外に誰がいるのか。それがその関係の中にある私の役割だと思う。

無視されても良い存在などありはしないのだ。私が関心を寄せなければ誰が寄せるのか。誰が寄り添うのか。関心を持つ存在に対しては「知りたい」という欲求が生まれる。そして知ることにより、「知ったからには何かしたい」という次なる欲求が生まれるものだ。

私の目の前にいる「この人」は私にとっては当たり前の「自由と平等」が奪われた生活をしている。私は「自由と平等を獲得したい」と訴える「この人」に寄り添い、行動したい。連帯を示し、「その苦しみを決して見過ごしたりしない」と伝えたい。それは私が「この人」を大切に思い、心から幸せを願うからだ。「この人」が私の家族だからだ。それが私の役割だと思う。

私は目撃した。示した連帯が確かに届き、それが希望の光になった瞬間を見た。その時、たった一人の小さなアクションでも、誰かを絶望の淵から呼び戻せるかも知れないと思えた。

そのような働きかけの集積は世界を変える力になりはしないだろうか。

〇未来
私たちが受け継いだ精神、次世代に残したい未来

ヒトが生まれて以来、無数の選択がなされ、 現在の世界が形作られている。価値を交換し合い、人間が全体として進化を遂げてきた面がある一方で、侵略によって失われていった価値も存在する。今、私たちは日本人という民族の行く末について憂いている。戦後、他国によって作られた「不変の」憲法のもとで現在に至るまで国民は統制され、他国による思想教育の影響を未だに受け続けている。そして、「日本人としての誇り」は失われてしまった。「日本人としての誇り」などという言葉を口にすると途端に「右翼だ」と言われる風潮があるほどだ。

世界における日本のプレゼンスが低下していると言われて久しい。これは受け入れざるを得ない事実だ。そして日本という国はじきに誰からも見向きもされなくなる。現状を甘受するならば、遅かれ早かれそうなるのは目に見えている。「誇りを失った、かつての経済大国」

しかし、例えばこのまま日本人という民族が途絶えてしまったらどうなるだろう。日本語という言葉が失われ、日本人の思考が世界から消えてしまったらどうなるだろう。それは人類にとって大きな損失なのだ。日本人の勤勉さ、決して人の信頼を裏切らないという性質、和を貴ぶ心、時には他者のために命をも差し出す自己犠牲の精神、これらはめまぐるしく変化する世界においては時に短所にもなり得もするが、間違いなく日本人の美しい特徴に他ならない。そのような特徴を持つ私たちだからこそ、果たさなければならない役割が必ずある。

1945年8月17日、約340年間のオランダによる統治と、その後3年間の日本による統治の後、インドネシアが独立を宣言した。が、その直後、オランダが再びインドネシアを植民地化しようと攻めこんできた。この時、約3000人の日本兵がインドネシアに残り、オランダ軍と戦い、結局1947年8月の国連安保理の決定によりオランダは再植民地化を諦めることとなった。この戦いにおいて約1000人の日本兵が命を落としている。3年間の統治時代においても、日本は行政機構にはインドネシア人を登用し、教育に力を入れ、国力をしっかりつけさせる仕組みを作ったという。「独立、独立と叫んでいるだけではだめだ。熱心に仕事をする以外に独立を実現する道はない」と説きながら。つまり、日本がインドネシアを一次的に統治したのは、支配するためではなく、インドネシアをオランダの支配から解放し、独立を支援するためだったのだ。先の大戦での日本軍の一連の軍事行動について私は是非を問う立場にはないが、インドネシアをめぐるこの一件に日本人の精神が色濃く現れているように思うのだ。

私たちは連綿と受け継がれてきた民族の歴史と精神を背負って生きている。歴史とは私たちそのものだ。先達がそうしてくれたように、私たちは、よりよい未来を次世代に残す使命を負っている。私たちが事業を行う目的はここにある。「世界を一つの家族として考え、恒久的平和を願う」日本人として、自らの役割を全うし、また問題提起をする。そしてできる限り多くの人の関心を呼び起こす。無関心事を関心事に変え、関わる人それぞれが自分の役割を見つけ、そしてそこから何らかの行動につながるように。そうして現世代における無数の課題をできるだけ解決し、現在よりも世界を少しでも良い形にして次世代に引き継ぐという使命を果たしたい。

自己紹介

上田 拓明 Ueda Hiroaki

– 1982年11月29日生まれ

– 富山県富山市出身

学生時代の2002年、韓国人留学生との出会いをきっかけに外国に興味を持ち、一人でバックパックを背負いタイへ旅に出ました。

そこで多様な異文化に触れることで更に興味を持ち、約2年間韓国、カナダへ語学留学。

海外滞在中に沢山の国の人々と触れあう中で「自分は何者であり、何のために生きているのか」と考えるようになり、また、自身がいかに無知であるか、自分のアイデンティティーとはいかなるものか、と悩むようになりました。そのことがその後の人生を変えることになります。

海外にいる間、アメリカ、アジア、ヨーロッパ、アフリカなど約30ヶ国を旅し、国籍、宗教、言語は関係なく、皆「人」であるということ、真のコミュニケーションとはいかに大切であり、また難しいものかということを学びました。

帰国後は、旅の途中でお世話になったホステルに興味を持ち、ホステル運営会社で約1年アルバイトさせていただきました。

その後、地元企業での5年間の営業職勤務を経て、再びそのホステル運営会社に社員として戻り、5年間マネージャーとして多くのゲストをお迎えしてきました。

2017年、同社を退社し、合同会社Chapter Twoを設立。

人と人との繋がりを生む場づくりを実現させます。また、感謝を忘れず、人の幸せのため、また次世代の人たちが自分に誇りを持ち生きられる世の中を作るため邁進します。

上田 惠利加 Ueda Erika

– 1983年12月28日生まれ

– 兵庫県姫路市出身

兵庫県・瀬戸内海に浮かぶ「家島」という小さな離島で生まれ育ちました。

大学では哲学を専門とし、「幸福とは何か」ということを中心に研究しました。そして、「多様な人・価値観に触れ、相互理解を紡いでいく中で、自分自身の知と経験を積み重ねていくこと」「その知と経験とをもって他者の幸福に寄与すること」が、自身の幸福につながり、また、子供の頃から漠然と抱いていた「何のために生まれてきたのか」という問いに対する答えにつながると考えるに至りました。

卒業後はホテル運営会社に就職。ラグジュアリーホテルの最前線で様々なお客様と出会うことができました。その際に依っていたのは、「お客様の五感に対してアプローチし、『より良いもの』を届ける」というミッションでした。

在職中、同じ宿泊業でありながら、全く違う価値を提供する業態があることを知ります。そのきっかけは、国内で最も勢いのあるホステル運営会社の社長と偶然知り合ったことでした。そしてそれが「ホステル」との出会いでもあったのです。

その事業内容を社長から伺ったところ、まさに、ここにこそ「幸福」につながる道があるのではないかと直感し、その会社へ入社することにしました。

ホステルの現場で、世界各国から訪れるお客様を迎える日々の中、「人と人とのつながりを生む」ということに直接的に関わっている実感を得ることができました。それがホステルの提供できる、最も大きな価値の一つであることも体感しました。

また、この転職をきっかけに自分自身も外に飛び出していくようになりました。日本とは全く違う街の風景、建造物、自然、食事には驚きと興奮を感じるのですが、どこを訪れても、何よりも深く心に刻まれ、後に鮮やかに思い返されるのは、現地の人と言葉を交わし、笑い合った出来事でした。とりわけホステルは、そうした経験を得るきっかけの場として、旅行者としての私をいつも助けてくれました。

2015年に結婚し、2016年には新婚旅行で夫と共に「サハラマラソン」に参加しました。モロッコのサハラ砂漠を257km走る、「世界一過酷なマラソン」と呼ばれる大会です。このレースを夫婦揃って完走し、どんな大きな困難でも二人で乗り越えていけるという自信をもちました。同時に、より大きな目標に挑戦したいと考えるようになり、また、「自分たちはこれからの人生をどのように過ごしていきたいのか」ということを改めてよく話し合うようになりました。

そして2017年、夫婦揃って独立。多くの人の幸福につながるきっかけを生むことのできる場を作ります。