続・クルドとの邂逅

chaptertwo/ 11 5, 2018/ Erika Blog

今年6月、初めてイスタンブルへ渡航した折に経験した「クルドとの邂逅」。
これについて以前ブログで記録した。

それまでほとんど意識したことのなかったクルドになぜこれほどまで惹かれるのか。

3000万人以上もの人口を抱えながらも今日に至るまで独立状態を得られず(※1)、
歴史上においては常に外的な力に翻弄され、また迫害の対象となってきた民族。
夥しい数の死に直面しても民族としての誇りを捨てることなく、むしろより高らかに胸を張り、
それを犯そうとするものと戦ってきた勇敢な民族。
シリアの街コバニで、侵攻して来たISと戦い、遂には奪還を勝ち取ったのはクルド人部隊(※2)で、
その中には女性も多く含まれたことは多くの人に知られるところだろう。

(※1一度だけ現イランにおいてクルディスタン共和国が成立したが一年足らずで潰えた)
(※2アメリカによりバックアップされた)

その勇敢さと共にある圧倒的な受容力もこの民族を形容するのに欠かせない点であろう。
自分の元を訪れる客人に対して、心を尽くしたもてなしを施し、最初は大切なゲストとして、次の瞬間にはもう「家族」として接する。
他者をごく自然な形でコミュニティの一員として受け入れ、心地よく過ごせるように身辺のあらゆるケアをしてくれる。
何ら見返りを求めることなく、自らの持てるものを差し出す。

床にシートを敷いて食べ物を並べる。どの家庭でも「Buxa Buxa Gelek Buxa(食べなさい たくさん食べなさい)」と言われる。

なぜこれほどまで惹かれるのか。
あまりに異なる存在に対する驚きと憧憬のせいなのだ。

もっと彼らのことを知りたい。
それから数ヶ月、クルドの歴史についての本を読み漁り、クルド語の習得に勤しんだ。
そして、クルド人が多く暮らす地域であるトルコ南東部へ飛んだ。

今回主に訪れた県は、Van、Diyarbakir、Batman、Mardin。
以前訪問時にお世話になった宿泊先ホストの手配により、
Vanでは彼の友人家族、Diyarbakir・Batmanでは彼の弟、Mardinではその弟の友人が終始ケアしてくれた。

まずVanでの経験を語りたい。
Vanではホストの友人家族が温かく迎えてくれた。
ホスト友人本人はアメリカ在住のため、特にその妹が常に私を率いて様々なところへ連れていってくれた。
中でも貴重だったのは、結婚パーティーに参加させてもらったことだ。

クルドの伝統的なドレスを着てダンス。隣の人と小指を繋ぐ。

クルドの伝統的な衣装に身を包み、伝統的なダンスを踊る。
彼らのダンスは、基本的に指か手を繋いだ状態か、肩同士をくっつけ合った状態で行われる。
結婚式や新年祭のような特別な時はもちろん、普段でも友人同士が集まればダンスが始まったりする。
手を繋いだ状態で行われるという点が、彼らの人に対する姿勢をそのまま表しているようでとても興味深かった。

クルドの家庭はたいてい子沢山だ。
今回出会った家庭も全て、7人以上の兄弟構成だった。
多くの兄弟に囲まれて育つ彼らにとっては、常に誰かと共にいることが自然なことなのだ。
誰かと触れ合い、慈しみ合い、成長していく。
それがダンスのスタイルにも表れているように感じた。

次に訪れたのはDiyarbakir。
南東部の中心都市で、クルド人にとっては「精神的な首都」とも言われる街だ。
ホストの彼はDiyarbakirの山奥にある村で生まれ育ったというので、今回の訪問の目的はその村を訪れることだった。
隣接する街Batemanから4時間、食料をたっぷり詰め込んだドルムシュ(乗り合いのミニバス)で山道を進む。
時折誰かが山を降り、山奥に住む人々の食料を調達しているのだろう。

村に到着すると、ホストの家族と、その村に住む親戚が次々と集まってきて、蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
35軒しかないという小さな集落において、突然現れたアジア人は非日常そのもので、
子供達にとっては相当刺激的な出来事に映ったことだろう。

クルドの家庭は子沢山。

水は地下水をひいて得られる分だけ。電力は限られていてしょっちゅう停電する。
村を出た家族からの仕送りによって生活している村は一般的な意味では貧しく、子供達も既製の娯楽品などほとんど持っていない。
その彼ら彼女らが、「これあげる」と言って、アクセサリーや化粧品や押し花などを持って来た。
外部から来たゲストである私に対してどうしても歓迎の気持ちを示したくて、自分の宝物を差し出してくれたのだ。
子供達のその気持ちが嬉しくて、それらを生涯大切にしようと思った。

常に多くの兄弟姉妹に囲まれて育つ。

村に滞在中は毎日土砂降りの大雨で、訪れたいと考えていたところへは行くことができなかった。
「晴れたら行こう」と子供達と交わしていた約束も、時間の制約により叶えられなかった。
次回はもっと長くこの村に滞在し、クルドの伝統的な村での生活を深掘りしていきたい。

今回の滞在に先立って、先述の通り、不十分ではあるがクルド語の学習に取り組んだ。
渡航先では英語が通じることがほぼ皆無で、習いたてのクルド語を使用する機会に恵まれた。
不慣れなクルド語でも、一般のアジア人旅行客が「自分たちの言語」を話すということは驚きをもって捉えられた。
そして必ず「なぜクルド語を?」と聞かれる。
「クルドの文化に興味があって、もっと知りたくて勉強しています」と答える。
実際に言語を学習していることは、関心を持っていることの何よりの証となる。
誰もかれもが、自分たちの歴史、置かれている境遇、そしてどれだけ素晴らしい文化があるか、ということを語ってくれる。

Hasankeyf チグリス川沿いに残る要衝で、現存する建物の多くは11〜12世紀に作られたもの。 ダム建設のために村ごと水没することが決まっていて、既に工事が始まっている。

また時には、「状況を変革するにはどうすれば良いか」と問われることもある。
日本は「ヒロシマ・ナガサキ」を経験し、「ツナミ」により壊滅的被害を受けた国であるという認識をもつ人が多いと感じた。
先の問いは、その国から来た人に対するもので、真に有益な意見を求められているのだろうと思われた。

一般論を唱えることはいくらでもできる。
しかし残念ながら彼らを納得させられる回答を今の私は持ち合わせていない。

私のこの「もっと知りたい」という欲求は、クルドに対する憧れや彼らが幸せであって欲しいという願いと共にあり、
知ることのみにより満たされる性質のものではない。

世界の多くの人が、「クルド」という存在を知りながらも、すでに操作された情報によってしかそれに触れることがない。
言語を奪われ、命を奪われ、自由を奪われ、現在においても人知れず投獄されたり殺されたりという迫害は続いていることをどれだけの人が知っているか。

この度の訪問中、最も長く私に同行してくれたホストの実弟がこう言った。
「自由に、平等に生きる権利が欲しい」
これは彼の心からの叫びであり、クルドという存在そのものから発せられる叫びでもあるのだ。
この言葉が私の頭から離れない。

私は関与していたい。自分の目で見て耳で聞き、経験して、それを「伝えること」により関与したいのだ。

クルドだけではない。
長く内戦状態にあるシリアにしても、独裁政権下で苦しむ人々がいる現実を世界が黙殺してきた。
「遠い国の、自分とは無関係な出来事」として。
その「世界」とは何か。私たち一人一人が構成するものに他ならない。

「自分一人が何かしたところで何も変わらない」では、本当に何も変わらない。
しかし、どんな小さなことでも、何か行動に繋げれば、その集積が大きな力を持つかも知れない。

実際に何が起こっているのかという事実と共に、彼らの崇高な誇り、勇敢さ、そしてその美しさを伝えていきたい。
私の個人的な、生の経験として、その溢れる魅力を伝えていきたい。

「無関心事」から「関心事」へ、そしてアクションへと繋がっていくように。

今回の旅行記はこちら。

トルコ1日目・Istanbul
トルコ2日目・Istanbul
トルコ3日目・İstanbul-Doğubeyazıt-Van
トルコ4日目・Van
トルコ5日目・Van
トルコ6日目・Van-Diyarbakır
トルコ7日目・Diyarbakır/Batman
トルコ8日目・Hasankeyf/Diyarbakırのすごい山奥の村
トルコ9日目・Diyarbakırのすごい山奥の村
トルコ10日目・Diyarbakırのすごい山奥の村-Batman
トルコ11日目・Batman-Midyat
トルコ12日目・Midyat-Mardin-Diyarbakır
トルコ13日目・Diyarbakır-Istanbul
トルコ14日目・Istanbul
トルコ15日目(最終日)・Istanbul-Tokyo