クルディスタンを巡る(前編)

chaptertwo/ 10 24, 2018/ Hiro Blog

9月19日

昼過ぎにイスタンブールに到着し、地下鉄で市内へ出る。

地下鉄プラットフォームの生暖かい空気と生臭い独特の香りが中東へ来た気分を高揚させた。

ガラタ橋から見た旧市街

イスタンブールは今回初めて来たが、僕にはマイホームが存在する。マイホームといっても、もちろん僕が所有しているわけでなく、CIWANというクルディスタンがAIRBNBを使い運用している宿だ。

何故マイホームかと呼ぶかというとわけがある。妻が今年6月に1週間このお宅に滞在した際、彼らのもてなしにあまりに感動し全ての日程をこのお宅で滞在した。まるで旧知の友人のように自然に接してくれる彼らのことを帰国後たくさん聞くうちに上田家のイスタンブールのマイホームに協定を一方的に結ばれたのだ。

お宅に到着すると、顔がやたら濃いのが印象的なCIWANの弟、ファティーが出迎えてくれた。聞いた通りまさに自然なおもてなし。長旅で疲れた体が一気に癒されるのを感じた。

温かく迎えてくれたファティー

空腹を感じたのでトルコといえばのケバブを食べに大通りまででた。適当なお店を選び入るととてつもなく大きなケバブサンドが登場した。

本場のうまさからか、一気に完食。食べ終わった後、何故か僕のおでこについてついていたピクルスを黙って笑顔で取ってくれたスタッフにトルコ人の温かみを感じた。

 

9月20日

観光名所に行くといつも気持ちが萎えてしまう。

写真で見たことのあるものを確認作業のように実物を表面的になぞりつい確認行為になってしまう自分がいるからだ。更に当然ほかの観光客が多く、観光客目当てのモノ売りに嫌な気分になる率も高まる。普段あまり行かない観光名所だが空港から向かう地下鉄からガラタ橋を通る際に見える美しい街並みを見ると行かないわけにはいかない。

観光地を回る。世界一美しいモスクと謳われるブルーモスクに1600年前から起源をもつ歴史深いアヤソフィア、、、、おお!これか!と思いきやすぐ いつもどおり気分が萎え、帰ることにした。

アヤソフィア周辺

徒歩で坂を降りること10分、ガラタ橋に戻ると聞いたことのある目的地のフェリーをたまたま見つけた。 ヨーロッパ最古の木造建築のある場所で今年6月に妻がイスタンブールを訪れた際に行った場所だ。

オスマン帝国時代、新たなスルタンが決まると、その兄弟は島に流され死ぬまで幽閉されていたらしい。スルタンの座を脅かす者を排除するために。王子たちが流された島はPrinces’ Islandと呼ばれていて、イスタンブールからフェリーで1時間。

半日時間があるので向かうことにした。島は車が禁止されており馬車か自転車が主な交通手段。 両方嫌だったので歩いて木造建築物を見に向かった。古く今にも朽ち果て崩れ落ちそうな建物と沢山の猫たちを見ながら歩いていると突然現れた。

囲いの中には入ることはできないが何故か羊がたくさん住んでいた。こんなに巨大な木造の建物はみたことがない。そして今にも崩れ落ちそうなことが一目で分かるほど朽ちていた。この貴重な遺産が見えなくなる日も近いのかもしれない。

建物正面にはたくさん羊がいた。

建物の側面。敷地はかなり広大

 

 

 

 

 

 

 

向かっていると何故かついてくる珍しい猫。何か言いたかったのかもしれない。

家に戻るとCIWAN宅の住人であるCIWANの友人スパイダーマンが何も言わず黙々と晩御飯を用意してくれていた。スパイダーマンとは彼の仕事が害虫駆除だからと安易につけられたあだ名。本名は知らない。

しばらくすると作ってくれた山盛りの小魚のフリットをご飯と大量のパンを二人で黙々食べた。

彼の出身はこれから向かうトルコ南東部の更に端。イラクとイラン国境近くにある街。英語をあまり話さず、「ナガトモ、イナモト、アリガト」という日本語と「イエス、ノー」の英語、合計5つの単語とジェスチャーで基本全てのコミュニケーションを完結させる。なのであまり会話は続かないがいつもニコニコしている。

小魚のフリットは実家でもよく食べるソウルフードなのだそうだ。食後、淹れてくれたチャイを飲み、クルドの音楽を聴きながらゆっくりと過ごした。

ソウルフードの魚のフリットとスパイダーマン

9月21日

マイホームが満室だったので今日は違う宿へ移動する。

徒歩数分のDenizさんのお宅で今晩は厄介になる。

彼はオーストリアで活躍するコンテンポラリーアーティスト。案内された部屋は彼の作品に覆い尽くされていた。

チャイを飲みながら少しお話をした。それにしてもどこに行ってもとりあえずみんな狂ったようにチャイを飲む。

彼との話はトルコの現在の事情を国外からの視点を交えて話をしてくれとても興味深かった。

「未来を見て今を生きるヨーロッパ先進諸国と今を凌ぐことを見て今を生きる自国。どうしたらいいものか、、、」

ともの寂しげに呟く彼の姿はとても印象的だった。

コンテンポラリーアーティストのDENIZさん。

午後からトルコ式垢すりのハマムへ行ってみた。 600年以上前の建物で体験するハマム。三助さんが垢をすり、体を洗ってくれる。

束の間のテルマエロマエを体験した。

テルマエロマエ体験。布を腰に巻く。

夜ごはんを食べているとキプロス出身という男性に声をかけられた。建築関係の仕事をしており普段はドイツにいる。

カンファレンスでイスタンブールへ訪れ今日が初日。一緒に飲みに行かないかと誘われた。

トルコでの誘いには基本的に乗ることに決めていたので一杯だけ飲みに行くことにした。何処へ行くかと言うわけでもなく彼は仕事が大変だと苦労話をしながら足を進める。結局路地裏の薄暗くブルーライトが煌々と照らす、音楽が大音量でかかったバーへ入った。90年代のボディコンを着たような女性がウロウロしている。

 

・・・・・怪しい。

 

座ると同時に「悪いが、ここは僕の場所じゃないから帰る」と帰ろうとするスタッフが止めに入る。

 

・・・・・ますます怪しい。

制止を振り切り早足で立ち去った。

後ほどネットを見るとかなりの確率で外国人が被害にあう詐欺だったようだ。

言葉巧みにバーへと誘導し、一定時間飲み途中から女性が合流してくる。その後飲み、歌い、最終的なお会計は日本円で20~40万円。連れてきた男は普通にその額を半分払う(ふりをする)、または今はないから貸しておいてほしいといい、ゴネると怖いお兄さんが出てきて試合終了というパターン。 メジャーな詐欺だが、被害は聞くところによると特にアジア人は二人に一人は会うくらいの確率らしくイスタンブールでもはかなり横行しているらしい。行く方は要注意!!

 

9月22日

今日はイスタンブールからマルディンへ移動する。

国内線の多くはアジア側、サビハギョクチェン空港より離発着する便が多い。

早朝からDenizさんへ別れを告げ、空港へ。

マルディンはトルコの南東部へ位置しメソポタミア文明を感じる建物、景色はトルコ人にも人気の観光地でもある。

空港から一歩でるとイスタンブールとは全く違う灼熱地帯。 バスに向かうと一緒の飛行機に乗っていた兵士たちに出会った。イスタンブールでの兵役へ約1年半へ行っており、ようやく凱旋した。

彼らは英語を話さないが必死で助けようと行き方を教えてくれた。

結果・・・・・・え?、、、ここ?という変な場所で降ろされた。

故郷に凱旋した兵士たち

あとで気づいたのだが本来であればそこからミニバスへ乗り換えダウンタウンまで向かうようだったのだが誰に聞いてもよくわからず、結果歩いていく羽目になった。

40度近くの灼熱地獄の中、約3kmの坂道を歩く。屋台のおじさんがレタスをくれた。すれ違う人たちがみんな微笑んでくれる。本当に気持ち良い人たちだ。(汗だくで坂を登っているアジア人を只のバカだと思っているのかもしれない)

マルディン城から

干からびる寸前で街へ到着した。今日から旧市街のストーンハウスへ泊まる。家の屋上から南へ延々と広がった平原が見える。

アラビアンナイトを連想させるメソポタミア風の美しい街並みからの絶景と僅か20km先から明らかに少なくなる灯。シリアの街を見ながらすぐそこに悲劇が起こっている国があるとは信じられない。

静寂の中で時々遠くで聞こえる破裂音。どうかこれが悲しい音でありませんように。

光がなくなっているところがシリアボーダー。ここから約20キロ。

「この光景にたくさんの灯を戻したい。自分にできることはなんだろう。まず目の前にあるできることから始めよう」

戦争は国際社会の問題であり、僕が、僕らがその国際社会そのものであり「無関心」が人を殺している。 だから僕らのプロジェクトを1人でも多くの人の行動に繋げる必要がある。

 

9月23日

この街ではアジア人が珍しい。1人も見ないし、みんな2度見はおろか5度見してくる。聴くと欧米人は時々くるがアジア人はここ最近全く来ていないとのことだ。久しぶりの経験だ。

子供たちが「チャイナー マネーマネー」とあからさまな要求をしてくる。顔が明らかに違うので嫌でも目立つ。歩くとすぐに声をかけられ2日目にして近くの商店街の人とは大体知り合いになる。

日本人と分かると「ナガトモ」の話題へ。サッカークラブチームのガラタサライで活躍する彼はトルコ全土でかなりの有名人。偉大さを感じる。

通る度「ナガトモ〜」と言ってハグしてくれる雑貨屋のにいちゃん

旧市街の様々ところを散策し夕方チャイを飲みにカフェへ入った。

一人でチャイ、コーヒーをすすり、スナックをつまんでいると隣のテーブルにいた2人がこちらへどうぞと自分サイドの椅子を引き、誘ってくれた。カフェのオーナーさんだった。

クルド人のオーナーさんとアラブ系でアラビア語を話す友達、遅れてシリア国境の街に住む同じくアラブ系の友人も現れた。

たくさんの民族、言葉の集合体のこの地域を誇りに思っているそうだ。話しに花が咲き日が暮れたので、お会計をしようと思うと断られた。

「来てくれてありがとう。それだけで十分だ」

そう言ってくれたオーナーのやさしさに胸が熱くなった。

PEYDA CAFEの優しいクルド人オーナー

 

 

 

 

 

 

 

シリア国境の村に住むアラブ系の彼らはアラビア語を話す。

PEYDA CAFEは地元との人の憩いの場。

宿へ帰ると宿の管理人が挨拶に来てくれた。明日ディヤルバクルに行くつもりなのにネットに情報が無く行き方がわからなかったので尋ねるも言葉が通じない。

隣の家の友人が英語を勉強しているからと連れていかれると隣が爆音で宴会の真っ最中。肝心の英語を話すと思われる友人は酔っているのかロレツが回っておらず全く何を言っているのか分からない。そしてよくわからないまま宴会へ参加した。

全員クルド人でどんどん数が増えていく。

どんどん輪が広がる。

順番にリーダーのアポさんが一人ひとり声をかけていく。クルド人は日本と同じ年長者のを敬い、逆らうことは基本ないらしい。みんな静かに聞いている。

僕の番がきた。

「えーーー  その前にお前は誰だ?、、、、まあ誰だか知らんが、ここに来たら家族なんだからゆっくりしていってくれ。」

違和感の塊の言葉が通じないアジア人もここに来ると家族になれる。ここはそういう場所だ。

みんなのリーダー実業家のアポさん

みんなとても暖かい。パレットを机に飲み、歌い、踊る。

お酒が進み、みんなで歌い、そして踊る。なんて楽しい夜だろう。

踊る。

踊る。

騒ぐ。

しばらくするとなんと警察が突然入って来た。どうやら近隣の人が通報したらしい。慌ててリーダーアポが飛び出し対応する、ふと警官が僕の顔を見るなり何か言っている。

嫌な予感がした。

ピリピリした緊張感が走る。

さっきまでのハイテンションが嘘のように静まりかえった部屋。

すると警官が爆笑する声が当然響き、何かを僕に言い帰っていった。

通報者と思われる警官と一緒にきた男性は一人残されオドオドしている。

成り行きを尋ねるとどうやら日本人が来て宴会しているだから音くらい仕方ないと警察が判断し通報者を無視して帰ったらしい。

驚くべき結末。

結局明日グループの中でディヤルバクルを通過する予定だというカップルの車に便乗させてもらうことになった。

 

9月24日

昨日ごちそうになったカフェのオーナーに日本から持ってきたお土産を残し、マルディンを後にディヤルバクルを目指す。

昨日のカップルの車に乗せてもらい爆走する。130キロ以上で飛ばしているにもかかわらずしっかり目を見て話をしてくれる彼に時々経験冷汗をかきながらディヤルバクルへ到着した。

TCとSADAの車に乗りディヤルバクルを目指す

折角来たのだからとここが目的地ではないカップルも車から降りてみんなでカフェに入りお茶をした。するとまたたくさんのクルド人の友達が集まってきた。どうやらフェイスブックのクルド人コミュニティーに「日本人とお茶するけそ来たい人集まれ〜」という投稿を見て集まってきたらしい。

ジャーナリスト以外が観光でディヤルバクルにくるのはかなり珍しいようで、みんな喜んでくれた。

城塞内を案内してくれる

ディヤルバクルはクルディスタンの心の故郷と呼ばれクルド人中心的な街。

一方で長くの間PKK(クルド労働者党)の本拠地としての場所でもあり、一時は停戦状態時期もあるものの、直ぐに再燃、紛争状態になり、至るところで紛争が起こり多大な被害者がでた悲しい過去も昔のことではない。

集まったディヤルバクルの仲間たち

「遠くからきた友人にディヤルバクルを知ってほしい」

集まったクルド人たちの中の一人が宿まで送って行くので歩いて案内させてほしいと言ってくれた。

距離は大分あるが好意に甘えることにした。案内してくれたエシレフさんは建築会社を営む32歳。生まれも育ちもディヤルバクルと生粋の地元っ子。ワンピースが大好きで自分の街に珍しい日本人が来たことを本当に喜んでくれた。

一緒に街を歩いた。

道中、ところどころに生々しい紛争の後が残る。彼は驚くことに至るところの被害の情報を全て明確に暗記していた。

「ここでいきなりゴミ箱が爆発して子供が20名なくなった」

「ここで爆弾を積んだトラックが建物に突っ込んだ。50人が跡形もなく消えた」

聞くたびにやるせない思いがこみ上げる。

聞くと彼は有名な警察署爆破事件の際に一緒に巻き込まれたマンションの住人だったそうだ。

「ちょっと運が悪かったら死んでいた。当たり前だ。戦争状態なんだから」

まさにその現場を前にして、涼しい顔をして話をしている彼の言葉のひとつ一つが現実のものとは別世界に自分がいるように思えた。

案内してくれたエシレス。彼の背後は元々自分が住んでいたマンションがあった。一気に吹き飛んだマンションと警察署。今もそのまま瓦礫が積み上がっている。

夜の中央公園に行った。チグリス川から引いたきれいな噴水があった。その写真を撮ってこの景色を覚えていてほしいと頼まれた。子供が夜にも関わらず楽しそうに遊んでいる。紛争状態の時はここに昔の平和だった頃の記憶にすがりたくさんの人が危険を顧みず集まったそうだ。

セントラルパークには深夜でも子供が遊ぶ

チグリス川の水を引いた美しい公園。

スラム街も自分が一緒だから大丈夫だと見せてくれる。3時間程歩いただろうか。彼がふと「世界はディヤルバクルを危険地帯だと勘違いしている」と言った。こんなに平和なのに。子供が遊んでいるのに。世界が思っているほど本当は何も起きてない。

「もっとたくさん来てほしい。ヨーロッパからも好きな日本からももっとたくさん来てほしい。ディヤルバクルはこんなに平和だってことを一緒に歩くとこんなに簡単に証明できるのに、、、」

彼の痛烈な想いが腹の底まで響いた。

ディヤルバクルは確かにほかの地域に比べると爆発に巻き込まれるリスクは他と比べて少しは高いのかもしれない。

彼曰はく、「この戦争は何も終わっていないから。」

PKKは過激派反政府勢力ではあるがISとは根本的に異なるものだ。遠く離れた場所にいると一緒にしてしまいがちで場所もシリアに割と近く、決めつけてしまっているところはある。

ここが危なくないとは言えないとは思う。ただ、それは世界どこでも同じこと。ここにどこの世界と変わらない、平和に人々が暮らしているのは事実だ。

 

後編へ続く